高校生活編 その4

『純』



さて、いよいよROCK月になりました。

席もいい感じの席に恵まれ、楽しい学校生活がおくれそうです。



合唱祭が終わったらもういなくなるんだなぁ



と、おセンチな気持ちになったりしてみたり。

ちょうどその時期はプロカルの県庁前ライブに向けて動いている時期でした。

沖縄を離れる前の総まとめのような気がしてなりません。



6月に入ると教育実習生がやってきました。

年齢は僕と一つしか変わりません。

しかし見た目が30代なフケメンを発見。

「自分の方があいつよりかなり若々しいんじゃない?」

と、高校生に同意を求めて満足するというマスターベーションを行う。

また、年齢をばらして、

「本当に?現役高校生だと思った。」

と言われ、有頂天に。



そんなしょうもない日々が続きました。



さて、学校を辞めることを言わないとなあ、と思いながら、日々は過ぎ去って行きました。

辞めることを知ってるのは、きよぽんという男子生徒と担任のみである。

きよぽんは言いたくて言いたくてたまらないのでは、と思ったりもする。



そうこうしながら、日々は過ぎ去って行きました。

合唱祭が近づけど、まとまらない学級。

本当にいい結果は残せるのか?

いい思い出はつくれるのか?

この学校に来てよかったと思えるようになるのか?

そういう不安だけが積み重なっていきます。



それと同時に、県庁前ライブにも向けて動いてました。

上京前最後のライブ。

色々な思いが交錯する。

そういや、イベントをやってた時期もあったなあ。

フリーペーパーも作ったっけ…





ん〓む…





サラバだ!ファッキン沖縄!





そう。私は沖縄が嫌いだ。

正確にいえば大好きなのだが、そのぶん沖縄のダメな部分に強く幻滅してしまう。

素晴らしき沖縄が好きだからこそ、今の沖縄は大嫌いである。

最近の娘。に憤りを感じているヲタみたいなものである。

まあ、その話は長くなってしまうので、機会があれば再び書きたいと思う。





そして、合唱祭の一週間程に迫ったある日、男子の一部に学校を辞めることを告げた。

いきなりのことで、相当びっくりしていた。

惜しまれたので、後ろ髪をひかれる思いをしつつも、嬉しかった。



さて、県庁前ライブでは喜納昌吉やハイスタの難波さんのあとに、何故かトリを勤め、異様な盛り上がりの中で上京前ライブは終了した。

まさにあらよる可能性を超越した、自己ベストな内容のステージだった。



ライブから3日ほどしたら、いよいよ合唱祭である。

最終的になんとかそれなりの形になってはいるが、さすがに入賞は期待出来ないなと思った。

そう思いながらも、入賞を期待してしまう。

いわゆる、「期待しないで期待する」状態である。

ちなみに、この時期には学校を辞めることが女子にも伝わっていた。

40人でラストの思い出作り。

みんなで那覇市民会館にて歌う、Mr.Childrenの「Tommrow never knows」。

本番は今までではありえないくらい一体感があった気がする。

8人の男子と32人の女子の合唱で、男子の声が女子に負けないようにちゃんと出ている。

これは、少し結果を期待できると思った。



結果は銀賞だった。

よかった。いい思い出を作ることができた。

沖縄にいい思い出を残したまま上京することができる。

よくやった。

感動した。





合唱祭の後、男子だけでカラオケに行った。

みんなで遊びに行くのはこれが最初で最後だろう。

店員に「高校生だけでのご利用は…」と言われたので、「保護者です」と免許証をみせてやりました。



次の日くらいに女子の企画により、合唱祭の打ち上げがあった。

アルコールもなくバイキング焼肉屋さんというのが高校生然としてよろし。

一人一人から見送りの言葉をもらい、非常に感動的であった。

涙を流す少女もいた。

とてつもなく嬉しかった。

自分のために少女が涙を流している。



しかし、学校を辞めるまであと2日ある。

次の日は普通に登校したので、なんか変な感じでした。



しかし、7月になればもう教室に40人揃うことはないのだ。



※その後、外人の留学生が来たので再び40人学級になりました。